【学び論】vol.31 ギラギラ、ワクワク、恐怖感
こんばんは、渡辺です。
前回は、モチベーションを高く保つために「ギラギラ、ワクワク、恐怖感」が必要だというお話をしました。今日も続けます。
■まず、最初の「ギラギラ」。これは、端的に言うと「ギラギラするような欲望」です。もっとお金が欲しい、異性にもてたい、いい車が欲しい、いい家が欲しい、などなど。
口にするには憚られるような内容ですが、高いモチベーションを持つには実はこういったギラギラした欲望というのはとても効果的に使えるのです。なぜなら、これらはすべて人間の本能的な欲求に根差しているから。有名なマズローの5段階欲求説でいう、「生存欲求」ですね。
お金を得たいというのは貨幣経済にあっては「食物を得る」と同義語といえますし、異性にもてたいというのは種族保存の欲求ともいえます。生存欲求というのは生きていくうえで不可欠な欲求なので、そこに働きかけることで高いモチベーションが保てるというのはなんとなくおわかり頂けるのではないでしょうか。
なんの抑制もなくこれらの欲求だけを追い求めしまえば身を滅ぼすことになりかねませんので、もちろん扱いには十分注意が必要ですが、不必要に遠ざける必要もありません。
■次に、「ワクワク」。これは、将来のビジョンが明確でそれを実現している自分自身を想像することでワクワクする感じです。これは先ほどの「ギラギラ」とは違って、たとえお金が得られないとしてもそれをやっているだけで楽しい、アドレナリンが出まくる、というようなものです。
例えば野球をやっている高校生が、甲子園で試合をしているところをイメージするだけでワクワクしてくるようなものです。
ここには、金銭的な見返りも何もなく、ただ純粋に自分自身の夢を追いかけるだけですが、その強烈なワクワクに導かれてどんなに厳しい練習もこなすことが出来るのです。
また、ベンチャー企業などで十分な報酬を出せないような場合など、将来のワクワクするようなビジョンを掲げることで、お金だけではないやりがいを求めて優秀な人材が集まる、ということもあります。
■そして、最後の「恐怖感」。何度も書いていることですが、今後、日本の経済社会がかつてのように成長していくことは考えにくい。もちろん未来は誰にもわかりませが、このままさらに沈んでいく可能性もある、ということは念頭に置いておいた方がいいとは言えるでしょう。
というのも、今後すさまじい勢いで人口減少と少子高齢化が進んでいくからです。今後の人口の状態を表したものが、下記の図です。

団塊の世代が後期高齢者になる「2025年問題」、そして団塊ジュニアが後期高齢者になる「2045年問題」を控え、相当に苦しい状況になるであろうことは容易に想像がつきます。
このまま行くと、経済の二極化がどんどん進んでいくかもしれません。私は、勝ち組負け組という考えは好きではありませんし、二極化しない方がいいとは思っていますが、それでも現実問題、そうなっていく可能性をまったく考慮に入れないわけには、やはりいかない。
そして、30代40代50代の働けるうちでさえすでに大きな格差が生まれているのに加え、自分が高齢者になった時に、残酷なまでに格差が浮き彫りになってきます。
何度も書いているように、普段は訪問介護の事業を経営しています。高齢者の世代における格差は、恐らくあなたの想像以上です。一方では、大きな一軒家に一人で住んでいて、掃除が大変だからと訪問介護を利用する人もいれば、一方では、本当に狭いアパートのゴミだらけの、掃除をするとゴキブリの死骸が出てくるような部屋で寂しく過ごしている人もいます。
食事も、片や牛肉と野菜を、ちょっとスパイシーな調味料で味付けして食べていると思えば、片や、冷凍した食パンをレンジで温め、安いジャムだけ塗って食べている方もいる。
訪問介護の現場で働いていると、本当に残酷なまでの「現実」を突きつけられるのです。
■私は、今現在そういう生活をしている方々の、少しでも力になりたいという想いはとても強くありますが、一方で、自分はそうなりたくない、という気持ちも強いのです。その感情、つまり「恐怖感」が強烈なモチベーションになっています。
だらだらと、何も努力せず日々与えられる仕事をこなすだけでは「行きつく先はあの部屋」だと思うと、今できることを何でもやっておこうと思うのです。あなたも、まだ今現在では、さまで痛切に「貧困」を意識はしていないかもしれません。しかし、老いて働けなくなったとき、どのような生活をしたいか。
好きな食事をしたくはありませんか?
趣味の活動をしたくはありませんか?
孫に洋服を買ってあげたくはありませんか?
旅行にも行きたくありませんか?
■私は、自分が高齢者になったとき、年金がもらえるとは思っていません。これは結構誤解している人が多いのですが、今払っている年金というのは自分自身の老後のために蓄えられているのではなく、今の高齢者の生活を支えるために払っているのです。そして、私たちが高齢者になるころには、支えてくれる人口はとても少なくなっています。とても高齢になった私たちを支え切れるとは思いません。
そのなった時のために、「今」何をするか。
私にとっては答えは明らかなのです。