【学び論】vol.33 「良かった探し」と「あら探し」
こんにちは。渡辺篤志です。今回は、「良かった探しとあら探し」というテーマでお伝えします。どうぞお付き合いください。
よく、「人間には2種類ある。○○の人間と、△△の人間だ。」という言い方がありますね。
「人を使う人間か、人に使われる人間だ」
「つねに前を見ている人間か、後ろを見ている人間だ。」
「できない理由を探す人間か、できる方法を見つけようとする人間だ」
「文章は読める人間か、文意が読める人間だ。」
「明日を見つめる人間か、あさっての方向を見る人間だ。」
など、色々あります。他にも
「結婚を後悔している男か、結婚していない男だ。」
「夏休みの宿題を7月下旬に終わらせる人間か、8月下旬に始める人間だ。」
「自分の胃に穴をあける人間か、他人の胃に穴をあける人間だ。」
など、遊びの要素が入ったものもあります。
このような、「「人間には2種類ある。○○の人間と、△△の人間だ」という言い回しは ネットで探すと面白いものがたくさんありますが、私が言うとしたら「良いことを探す人間か、あらを探す人間だ」という感じです。
■私たちの身には、毎日数え切れないぐらいの「コト」が起きます。朝起きてから夜寝るまで、起きる「コト」の連続と言ってもいいです。その「コト」に対してどう向き合うか。
何事に対しても「良いこと」を見つけられる人がいます。
「今朝も元気に起きれて良かった」
「朝食が美味しく食べられて良かった」
「電車が時間通りに来て良かった」
「いつも通り通える場所があって良かった」
「友人・同僚が笑顔で良かった」
などですね。

一方で、何事に対しても「あら探し」をする人間もいます。あら探しをしてしまう人の心理状態というのは色々あって、
・他人の欠点を見つけることで 自分が優位に立ちたい
・自分の自信のなさから自己防衛本能が働く
・自分自身の感情をコントロールできない。
・自分の都合のいい面ばかりに目を向けてしまい、都合の悪い面には目をつぶってしまう。
などが挙げられます。
■私たちの身に起こる「コト」というのは、本来「良い」も「悪い」もありません。「コト」の性質自体はニュートラルで、それに「良い」意味付けをするか「悪い」意味付けをするか。
つまり、「良いこと」も「悪いこと」も、私たちが自分で決めているのです。
そうであれば、私たちの身に起こることを、すべて、とは言わないまでも極力「良いこと」にすることも可能なのです。自分が、そういう思考の選択をすれば良いのですから。
この思考パターンを身につけるには、ある程度トレーニングが必要になります。どんなことにも意識的に「良いこと」と考える癖をつける必要があるのです。一般的に「良い」と思われることを「良いこと」と考えるのは当たりまえなので、ここでは一般的に「悪い」と思われることを「良いこと」と考えてみましょう。例えば、
・雨が降ったら、「雨が降って野菜が良く育つから良かった」
・とても寒かったら、「精神力が鍛えられて良かった」
・お金を無くしたら、「まずい管理の仕方を身銭を切って学べて良かった」
・風邪をひいたら「しっかり体を休めることができて良かった」
というような感じで、どんなことでも、多少無理やりにでも「良かった」に変えるのです。それを続けていくことで、だんだんと、自然に、身に起こる「コト」に対して
良かった探しができるようになります。
時間は、誰にでも平等に与えられます。その時間を「良かった探し」で埋めるか「あら探し」で埋めるか、あなたはどちらが良いですか?